こんにちは。ヒーリングの使う場面を考えていこうと思います。
ヒーリングの世界はとても奥深く、沢山のヒーリングを取得している方も沢山いますよね。
今回はヒーリングをする側(ヒーラー)と、受ける側(ヒーリー)について自身の体験談と共にお話していきたいと思います。
まずみなさんは、どんなときに誰かにヒーリングしたりヒーリングを受けたりしますか?誰かにお願いされてヒーリングをするときもありますね。しかし、お願いされてない時も楽になると思って、この人の為に、など考えてヒーリングをしている方もいますね。
私はオリジナルのヒーリングとスクールで習得したヒーリングを場面場面で切り替えてつかっています。
3年ほど前、父が腎臓がんの手術を受けました。その後順調に回復し、病院で再発当ないか検査したときに胆管にしこりがあり、99%ガンだろうとお医者さんに言われ後日精密検査を受けましょうという話になった。私もとてもショックを受けたし、父も落ち込んでいたが「年だから仕方ないな」と父なりに受け入れていたのだろう。
その日から、私は父のヒーリングを勝手にはじめた。
この時の思いは、父を死なせたくない、助かってほしい。幸せな生活をもっと送って欲しいという気持ちでいっぱいだった。
5日間ほどヒーリングを続けた頃、父は高熱で4日ほど寝込んでしまった。それでもヒーリングをつづけた。
熱が下がり体調も安定し、病院に再検査に行き、少し経ってから父から胆管にあったガンが消えていたと連絡があり、とても驚いたのと、ヒーリングで病気を治したり、改善したりが本当に出来るのだなと感動した。
その後、父がうちに遊びに来たとき、言った一言で目が覚めた言葉がある。
「もしお父さんがこれから病気で意思疎通が出来なくなっても決して延命や余計なことはするな、俺は望んでいないからな。」
あの時、私は父の自由意志を考えただろうか?
助けたい、助かってほしい。
それは、私の思いであって、傷だ。父の望んだことではなかったとしたなら、余計な事だったかもしれない。
「よかれと思って」は、慈愛や救済など色々な思いや言葉に隠れた相手の自由意志を尊重しない行動だったのだなと感じました。
「良かれと思って」「この人をどうにか助けたい」
もしこの感情が沸いてきたら、自分を感じてほしい。
どんな感情か?
何を心配しているのか?
何に恐怖を抱いているのか?
それらの感情を理解し、この人にとって何ができるのか?考えてみる。
それら全てを分かったうえで、それでも救うと選択する。
この続きはまたブログで書こうとおもう。
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